何かを理解するということ
最近やっと自分の分野の知識が少しずつ身についてきたと感じてる星の妖精です.
ここ半年程,新しい分野の研究にチャレンジするために,勉学の機会を多く設けるようにしています.
このチャレンジは,新規分野への参入の大変さを痛感すると共に,『理解するということ』が容易ではない点に気づくy良い機会になりました.
しっかり理解するために,そしてその専門家になるために,第一に必要と感じたことを素人なりに述べてみます.
参考になれば幸いです.
理解すること,それはどういうことか?
アインシュタインはこのように述べています.
『6歳の子供に説明できなければ、理解したとは言えない。』
確かに,人に説明できなければ,自分が十分に理解できていないことになります.
さらに重要なのが,どんな人にでも理解してもらえるように説明できるようになること.これが大切だと言っています.
私も同様の経験をし,その大切さに気づきました.
新規分野の研究を始めた当時,やはり学会やシンポジウムなどで,当該分野の専門家のお話を聞くところから始めました.もちろん自身の検討は初めてはいましたが,勉強が浅く,周辺分野の理解が追い付いていない状況でしたので,自身の研究を伝えるのが難しい状況でした.
しかしながら,学会等でお目にかかる人には,やはり,”自分は何の研究をしている人か”を伝える必要がでてきます.
当時の私は,知識が浅く,概要レベルのことしかお話しできませんでした.
専門家の人と対等に議論ができないこと.
これにとてもショックを受け,頑張ろうと思って必死になった記憶があります.
これが一つ目の『自分が理解できていないこと』に気づいた瞬間でした.
さらに,概要のみ伝えると,興味のある人は更に話がききたいと言ってきてくれます.
そんなとき,詳細を聞かれれば聞かれるほど,説明できない自分がいることに気が付きました.
例えば・・・
『この式は何から導出されたものか?』
こんな質問を受けたとき,自身の勉強不足の点に気づきました.
勝手ながら“この関連研究の式は,こういうもんなんだ!”と納得してしまっていました.良く知っている分野の人はもちろん,その式の導出先を知っていたために,一度も聞かれなかった質問.
そこに書いてある式がどこから出てきたものか?という点を考えたことがなく,それをすぐに答えられないことに,とても恥ずかしい気持ちになりました.
これが二つ目の『何もしらない人にわかるように説明できることの大切さ』に気づいた瞬間でした.
物事を根本から理解できていなかったこと,また根本から理解することの大切さを痛感しました.
その後,学びを進めていき,根本から理解することで,分野の理解を大幅に前進させることが出来たと思っています.
人に聞かれることで,自分の理解不足に気づくことができ,議論してくださった皆様にはとても感謝しています.
もちろん,自分で理解不足に気づき勉強を進めることができればベストですが,人に話してみて気づくことも,かなり大きい価値であるとわかりました.
自分の学びの浅さに怖がらずに,勇気をもって議論してみることで,自分の未熟さと次に何を勉強しなければならないかを知ることができると思っています.
野球監督の野村克也監督の名言にもあるように,
『人間は、恥ずかしさという思いに比例して
進歩するものだ』
その言葉を大事にして,これからも恥をかきながら自分を成長させていただきたいと思います.