「人間は考える葦である」という言葉に影響を受けた日
今日は,とある数学の本を読んでいて,
フランスの進学者であり哲学者であり数学者のブレイズ・パスカル(Blaise Pascal)の『パンセ』に書かれていた
「人間は考える葦である」
という言葉に研究に対してのモチベーションを感じさせてもらった.
この意味については,いろいろな書物で,以下が紹介されている.
「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。」
これを見て思ったこと.
確かに1人の人間は自然の中でたくさんいる動物の中の一つである.しかしながら,”考える”ということによって,新しいものの発見や大きな影響を与えることができる唯一の動物である.
と思った.
神学についてはあまり詳しくないが,
神が人間に与えてくれたことは,他の植物・動物よりも非常に可能性の多いもので,
その可能性を大いに生かすためのもととなるのが”考える”ということなのだと思う.
「考える」ということ,これは「頭を使うこと」と言い換えても過言ではないと思う.
与えてくれた考える能力を大切にしながら,日々勉強・研究に精進したいと思う.
補足であるが,本ブログの著者はパスカルに魅力を感じている.
その理由は,パスカルは様々な学問の学者であるが,メインは神学としていながら,
気晴らしに数学をするという大の数学好きで,数学者の道をも切り開いていること.
気晴らしといいながら,おそらく数学が大好きだったのであろう.
パスカルの名前がついた三角形や定理などがあるくらいたくさんの功績を残している.
一時期数学を離れた時期もあったようだが,歯の痛みをそらすために数学の研究を再開したとも言われている.
自身を振り返ってみると,
痛いと気になって集中できないから寝てしまおうとか,
お腹すいたから先にご飯食べてから勉強しようと思ったら,ご飯食べて眠くなったからちょっと寝ちゃおう,
とか,人間の誘惑に負けることが多々あった.
でも,パスカルの身の振り方を知り,自身の振る舞いはただの怠けに過ぎなかったと考えさせられた.
何かにすごく集中しているとき,他のものに気づかなかったり,痛みや痒みさえも気づかなかったりすることはあるだろう.
そのくらいに集中できること.
そのくらいに集中できる対象(特に考えるものについて)を持っていること.
は非常に素晴らしいことで,人間はそうあるべきだと思った.
こうした考えに至ってからの今日,勉強や考えるという観点で非常に充実した1日を過ごしている.
3日坊主にならないようここに記載して,気づいたときに改めてブログに目を通すことで再認識をしたいと思う.
この記事を読んで一人でも影響される人がいてくれたら非常に光栄です.
読んでいただきありがとうございました.
みなさま充実した毎日をお過ごしください.